海苔のおはなし

第39話 海苔の生産の歴史

日本で海苔の養殖と加工が本格的に始まったのは、今から約300年前の江戸時代からと言われています。当時の養殖方法は、浅瀬に「篊(ひび)」と呼ばれる粗朶木(そだき)を建てて、その枝に自然に付いて育つ海苔を人の手でつみとりました。さらに板海苔への加工は、「紙すき」からヒントを得た、木枠にはさんだ「海苔す」を使い、細かくきざんだ海苔を水の中で揺らしながら、1枚づつ加工していました。その後「投げ付け」という水になじませた海苔をマスですくい、海苔すめがけ投げ付ける方法へと変化し、作業の効率化を図っていきました。しかし、江戸時代に海苔の養殖が盛んになり、加工の効率化が図られたとはいえ、現代の生産量約100億枚にはほど遠い生産量でした。

海苔の生産量が増加したのは、いつの時代なのでしょうか?
1961年当時、海苔生産者は全国に約6万8000軒あり、約30億枚の海苔を生産していました。約40年後の2008年には、海苔生産者は93%減の5,000軒となりましたが、逆に生産量は約100億枚と一気に増加しています。この40年間に、海苔の生産が大幅にアップする技術の進歩があったのです。

イギリスの藻類学者キャサリン・メアリー・ドリュー女史が、1949年に海苔の生活史を解明したことで、海苔の養殖技術が格段に進歩しました。まず、1964年に人工的なタネ付けが成功したことで海苔の葉状体を育てる技術「人工採苗」が実現しました。さらに1970年に「冷凍網」が実現。秋にタネ付けした海苔網を、マイナス25度で冷凍保存し、先に漁場に出た網で海苔を収穫した後、解凍した網と交換し、再度生産を続けることで海苔の採取が何度もできるようになりました。
その結果海苔の生産量が約60億枚へと増加しました。

さらに100億枚の生産量達成の立役者は、1981年の「大型全自動海苔製造機」導入です。機械導入以前は、江戸時代の生産方法のように、1枚、1枚、手ですいたものを天日で乾燥していたので、手間暇がかかり、ひとつの経営体が製造する海苔は、年間4万4000枚程度でした。機械を導入することで、採取された海苔は、切断・撹拌(かくはん)・漉き込み・乾燥までの各工程が機械化され、1時間に4000枚から7000枚、年間生産量は、45倍の200万へと一気に増加しました。
海苔の加工は、かつては重労働でしたが、機械化により海苔生産者の労働は軽減され効率的に海苔を生産できるようになりました。しかし、工程は機械化されても、基本的な製造方法は江戸時代に行われていた方法と同様です。

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