海苔のおはなし

第44話 有明海海苔養殖の発祥地“玉名”

浦島海苔の本社がある、熊本県玉名市にほど近い大浜は有明海の海苔養殖発祥地です。その立役者と言えるのが早野義章(文久2年~昭和7年)。玉名市出身の彼は東京で学んだ後、18歳で地元に戻り教師として大浜小学校に赴任し、やがて校長になりました。当時の大浜は水田単作地帯で、耕作の大半は地主が独占していたため、多くの教え子たちの家庭は貧窮を極めていました。それを見かねた彼は、皆の暮らしが少しでも楽になるようにと海苔養殖に目をつけました。しかし、誰一人として興味を持つ者がいなかったため、彼自身が先頭に立って海苔養殖に取り組み始めました。

明治28年33歳のとき彼は、15年間勤務した小学校の校長を退職し、私財をなげうって海苔養殖に乗り出しました。大浜では明治7年頃に、海苔養殖を試みましたがその時は失敗に終わっています。しかし早野は自ら手本となるよう海苔養殖に打ち込み、県水産試験場の「海苔試験場」を誘致し、明治34年に海苔養殖に成功しました。

当時の海苔の養殖・加工は全て手作業でした。竹のヒビを用いた自然採苗で、海苔種の付いたヒビを海に刺すのも摘み取るのも手作業。その後も海苔を包丁で細かくたたき、水に溶かして簀(す)で抄き上げ板状にして乾燥させるといった一連の作業も全て手仕事。乾燥した海苔を干し台からはぎとる作業は、子ども達も手伝っての一家総出で行われていました。このように海苔の養殖・加工は重労働ではありますが、大浜で作られる良質な海苔はまたたく間に有明海一帯に広まり、海苔養殖は郷土の産業振興に多いに貢献したのです。今でも大浜漁協の横には早野義章の功徳碑が立っています。

戦後、イギリスのドリュー女史による海苔の生態の発見以降、海苔養殖は飛躍的に発展しました。また、東京湾埋め立ての影響や、流通の便が良くなったことなど、様々な要因により有明海は日本有数の海苔の産地となりました。しかし昭和40年頃の高度成長期に労働の厳しい海苔養殖は敬遠され、生産者が激減するといったことがありました。しかし、現在は養殖から製造までの技術が進歩したことから、作業も軽減化され生産枚数は増えています。

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