海苔のおはなし

第60話 東京"大森"から知る海苔の歴史

現在、全国の海苔生産地で一番生産量が多いのは、浦島海苔がある九州地方です。九州地方の生産量は、日本の海苔生産量の4割を占めています。有明海の広大で豊かな干潟が海苔づくりに適し、私たちの食卓においしい海苔を運んでくれています。その有明海で海苔の養殖が盛んになったのは、戦後1960年代。一方、江戸時代より1960年代まで海苔づくりが盛んだったのは、東京湾です。特に、現在の東京都大田区大森周辺が海苔の生産地として発展していました。今回は、この東京都大田区大森のお話をしたいと思います。

かつての東京湾は、波が静かな遠浅の海で、多摩川や隅田川などの栄養豊かな川の水が流れ込む汽水域(淡水と海水が混じりあう場所)で、海苔づくりに適した場所でした。海苔づくりは、今から300年ぐらい前、江戸時代の享保(1716〜36年)のころに始まったと言われています。品川から大森周辺の浜辺に"ひび"とよばれる粗朶木(そだぎ)を建て、その枝に育つ海苔を摘み取りました。大森沿岸は、とくに浅瀬の広がっており、海苔づくりには適した場所だったようです。

明治以降、各地で海苔づくりが行われるようになりましたが、大森沿岸の海苔は、質・量ともに全国に誇り、"本場干海苔"として賞賛されていたようです。しかし、今から約60年前、昭和30年あたりから、この地域での工場や人口の増加により海が汚れだします。また、遠浅の海は大型船の入港、航海に適さないとして、東京湾埋め立て計画が発案されます。その計画に応じるため、大森をはじめとするこの沿岸の海苔生産者は、昭和37年(1962年)に海苔の生産を中止し、翌38年(1963年)には海苔づくりの歴史に幕を閉じました。昭和38年当時の海苔生産者は、大森のある大田区で、約2000戸あったと言われています。現在、海苔は、東京湾でも生産されていますが、千葉県と神奈川県のみで、東京都では生産されていません。

しかし、江戸時代から培われてきた海苔づくりの伝統は、生産が途絶えても、海苔の流通業の中でいきていて、大森周辺には現在でも海苔の問屋が60軒ほどあり、海苔流通網の拠点の一つになっています。また、大森周辺の海苔づくりの伝統文化を伝えるため、沿岸の大森ふるさとの浜辺公園内に「大森 海苔のふるさと館」が建設されました。ここでは、海苔の歴史を伝える海苔生産用具の展示、海苔づくり体験などを行うことができます。

現在の九州地方をはじめとする全国での海苔づくりは、イギリスの藻類学者キャサリン・メアリー・ドリュー女史の海苔の生活史の解明のもとに、熊本県の研究所で研究された海苔養殖の技術や海苔生産の様々な技術の発展が支えています。しかし、この大森周辺での海苔づくりがあったからこそ、今の技術革新があったとも言えるでしょう。海苔づくりの歴史を学びに、大森周辺に行かれた際に、大森海苔問屋街や「海苔のふるさと館」に足を運ぶのもいいですね。

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